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デザインを習い始めた学生の多くは、デザインとアートを混同しているためです。デザインとアートの間には、決定的な違いあります。それこそ”Design solves a problem, art is expression”(デザインとは問題解決であり、アートとは自己表現である。)というものです。
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1番じゃないとダメな理由は、「あなたは日本で一番高い山、はご存じですよね?」「バカにするな、富士山だろう?」「その通り。では日本で二番目に高い山は?」「えっ…えっと…」「人の記憶に残るためには、1番でないとダメなんですよ。ちなみに正解は北岳、標高3193mです」 に尽きると思う。
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ボールで遊んではいけない、犬を入れてはいけない、大声をだしてはいけない、音楽を流してはいけない、他人の迷惑となることをしてはいけない。この国の公園はやがて、入ることを禁止されるのだろうか。
ゆっくりゆっくり広がっていく、なにもできない空気。禁止の波。
なにもできない公園はやがて、
なにもできない街になるだろう。
なにもできない街はやがて、
なにもできない国になるだろう。
なにもできない国はやがて、
なにもできない世界になるのだろうか。
いや、この島だけが
なにもできないのだ。
なにもできない島の
なにもできない人々。
なにもできない島で、
カステラはきっとおいしいことだろう。
いじめにつながるからあだ名が禁止される。いじめにつながるから徒競争から順位がなくなる。果たしてそれで解決するのだろうか。禁止すればいいのだろうか。闇が別の場所に移るだけ。あだ名は愛情表現のひとつ。世の中にはいろんな尺度がある。尺度事態を否定することが得策なのか。気に入らないことを容易に否定していいのだろうか。
それが人を苦しめるというなら、それを禁止するというなら、車を禁止するべきではないだろうか。車の事故なんてなくならない。絶対になくならない。人間が運転しているかぎり、車の事故は絶対になくならない。それで、車を禁止する人がいるだろうか。デメリットよりもメリットが大きいというのなら、車のメリットはどこにあるのだろうか。物事には必ず負の面が存在する。
もしも死にたくなるほどのあだ名をつけられた人がこの文章を読んだらきっと、「この人は、いじめられる人の気持ちをわかっていない」と糾弾するだろう。「なにもわかっていない」と。申し訳ないが、たしかにわかっていないかもしれない。仮に僕がわかっていないとしたら、ほとんどの人はわかっていない。それが現実なんだ。それでも僕は、いじめがなくなればいいと思う。だけど、人をいじめたくなる気持ちはなくならない。それを認めないと、もっと陰湿になる。もっと厄介になる。いじめにつながるからといってなんでもかんでも禁止したら、それは別の被害を生む。闇が広がってしまう。そのことを想像しているだろうか。
刺青が怖いのはどうしてか。それは、禁止しているから。あんなもの、だれもが自由にするようになれば、<しばらくたてば>なにも怖くなくなる。禁止するから恐怖になる。「禁止すると力を持ち始める」のだ。やがて、あだ名が力を持ち始めるだろう。だれかが発した言葉は、侮辱罪だと吊し上げられるだろう。あだ名が力を持ってしまう。でも、あだ名はそんなこと望んでなんかいない。あだ名は、人々に口にされることを望んでいる。公園は、みんなに愛されることを望んでいる。
ゆっくりゆっくり広がる、してはいけない空気。なにもできない島で僕は、カステラを食べよう。ざらめのところがきっとおいしいから。
ゆっくりゆっくり広がっていく、なにもできない空気。禁止の波。
なにもできない公園はやがて、
なにもできない街になるだろう。
なにもできない街はやがて、
なにもできない国になるだろう。
なにもできない国はやがて、
なにもできない世界になるのだろうか。
いや、この島だけが
なにもできないのだ。
なにもできない島の
なにもできない人々。
なにもできない島で、
カステラはきっとおいしいことだろう。
いじめにつながるからあだ名が禁止される。いじめにつながるから徒競争から順位がなくなる。果たしてそれで解決するのだろうか。禁止すればいいのだろうか。闇が別の場所に移るだけ。あだ名は愛情表現のひとつ。世の中にはいろんな尺度がある。尺度事態を否定することが得策なのか。気に入らないことを容易に否定していいのだろうか。
それが人を苦しめるというなら、それを禁止するというなら、車を禁止するべきではないだろうか。車の事故なんてなくならない。絶対になくならない。人間が運転しているかぎり、車の事故は絶対になくならない。それで、車を禁止する人がいるだろうか。デメリットよりもメリットが大きいというのなら、車のメリットはどこにあるのだろうか。物事には必ず負の面が存在する。
もしも死にたくなるほどのあだ名をつけられた人がこの文章を読んだらきっと、「この人は、いじめられる人の気持ちをわかっていない」と糾弾するだろう。「なにもわかっていない」と。申し訳ないが、たしかにわかっていないかもしれない。仮に僕がわかっていないとしたら、ほとんどの人はわかっていない。それが現実なんだ。それでも僕は、いじめがなくなればいいと思う。だけど、人をいじめたくなる気持ちはなくならない。それを認めないと、もっと陰湿になる。もっと厄介になる。いじめにつながるからといってなんでもかんでも禁止したら、それは別の被害を生む。闇が広がってしまう。そのことを想像しているだろうか。
刺青が怖いのはどうしてか。それは、禁止しているから。あんなもの、だれもが自由にするようになれば、<しばらくたてば>なにも怖くなくなる。禁止するから恐怖になる。「禁止すると力を持ち始める」のだ。やがて、あだ名が力を持ち始めるだろう。だれかが発した言葉は、侮辱罪だと吊し上げられるだろう。あだ名が力を持ってしまう。でも、あだ名はそんなこと望んでなんかいない。あだ名は、人々に口にされることを望んでいる。公園は、みんなに愛されることを望んでいる。
ゆっくりゆっくり広がる、してはいけない空気。なにもできない島で僕は、カステラを食べよう。ざらめのところがきっとおいしいから。
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原稿を待っている間に、「デブが言うとかっこいいセリフ」というページを見つけた。「お前とは、取っているカロリーの量が違う」「痩せろ?何言ってんだよ。この体に幾らかけたと思ってるんだ」「どけ。俺が盾になる」「好きなもん頼めよ。余ったら俺が食ってやるからよ」……惚れそう。


